茶の間 会議
昨日午後。あらいとしては「大きな目標」でもあった…否、大袈裟でなく「悲願」といえる「時間」を設けることが出来ました。5年という長い時間を費やしましたが、形だけ、ただ「やった」だけのような思い出作り的な会議ではなく、真に田原市に必要な会議。
田原市には精神科病院がありません。受診するには隣接する豊橋市まで出向かなければなりません。移動手間や時間、そして公共交通機関は私鉄が市の入り口でしか乗り入れておらず、その先は私バスか市営の巡回バスで移動となります。そのため公共交通機関利用しての隣市の受診には費用等の課題が大きくなります。
ので、『いずれ良くなるだろう』や『もう良くなったから』と放置されたり、途中で治療を止めてしまい、結果的に重篤な状態となって我らの前に おみえになる方、決して少なくなく。田原市として、そして「責務の委託」を受ける我らとして如何ともし難く、ただただ憂うばかり、我らの力不足を恥じるばかりでありました。
そんな中、あらいは平成24年の「つなぎ法」の施行により、新たに創出された「地域相談」を『突破口に出来るのでは!?』と考えました。ので、法人の理解を得て、生活介護事業所で汗を流していた ひらまつぴーに「手伝って~!」と援軍を乞い、相談支援専門員の資格を有しない彼女に「地域相談支援員」のネームプレートと名刺を託し「市外の病院と田原市を「つないで!紡いで!!」」と。勿論、あらいも「共に。(  ̄^ ̄)ゞ」と約束し。
以降、あれこれ足掻きました。のたうち回りました。あらいも、ひらまつぴーも、そして田原市も。病院で務めを果たす皆さんに我らを、田原市の意気込みを ご理解頂くために、リーフレットを作成したり、その普及と「そもそもの地域相談」の理解を目途とした研修を創出し、圏域で拾ってもらい実施に こぎ着けたりと。勿論、日々の活動、支援は一件一件 丁寧に行い、少し、また少しと信頼を勝ち取るべく行ったことは言うまでもなく。
実際、この一連の創出には協議会 運営会議の委員であった可知記念病院の佐藤PSWに相当なご尽力頂いたことは大きな推進力になりましたし、市外の各病院と ひらまつぴーを筆頭に総合相談センター メンバーとの協働は進んでいきました。
この時、あらいの頭の中にあった「夢」は、精神障害のある方の「自分らしく過ごせる場所」、働く準備の整ってない方の「自分のペースで歩める場所」の創出。そう!「地域活動支援センターⅠ型」の創出でした。あれから5年の歳月を経て、田原市に新たな社会資源として生まれたのが「地域活動支援センター Ⅰ 型「chanoma」」です。その人らしい暮らしぶりを支えながら、まちづくりをミッションとした事業所です。
市に提出した企画書は 20ページを軽く超えました。
思いの丈を綴りました。あらいは『ここを田原市の「社会的復権」の拠点とすべく!』と強い思いを託しました。真に「共生のまち」を目指すため、差別や偏見を無くすための拠点とすべく!と。でなければ、共に闘ってくれた ひらまつぴーや、影に日向に我らを支え続けてくれた、もっというと「生活介護を廃止しての本事業の創出」という無理・無茶を飲み込んでくれた法人BOSSかみやに、そして田原市に申し訳が立たないと強く!強く!思っていました。
昨日の時間は、その企画書の「ド初っぱな」に挙げたもの。田原市には無い精神科病院。そのワーカーさんに参戦頂き、今後の田原市の精神保健福祉のあり方について、共に考え、共に動き、そして共に笑う。というもの。田原市にない「資源」として憂うのでなく、それを逆手に取り、多くの知恵と、もっというと共に汗して頂きたく!と お願いするもの。
ご賛同下さったのは岩屋病院 磯貝さん、島病院 島さん、そして可知記念病院 佐藤さんという各病院の看板となるPSW。お忙しい中、お時間を創って下さり「chanoma」にお集り下さり、本音で語り合う時間となりました。
詳細は控えますが、我らが考える「社会的復権の拠点」をご説明した後、「医療」という世界の中で、奮闘する「福祉」人が求める「資源」とは如何なるものか!?皆さんに認められる「支援の「形」」とは如何なるものか!?を聴かせて頂きました。たくさんご教授下さいました。し、たくさん反省もしました。(-_-;)
「あ。( ゚д゚)」という間に時間は過ぎていきました。名残惜しくはありましたが「このまま朝までイキますか!」と提案したのですが、ひらまつぴーから「あほ。(-_-;)」と叱られ断念…。ってことで「では。また次回、たのしみにしてます。」と皆さんをお見送り。ただただ感激し続けた2時間となりました。これ、きっと ひらまつぴーも同じ思いであったことかと。っていうか…あらいの顔は、きっと見られないほどニヤケていたことかと~!((w´ω`w))
5年という年月を経て、そして ひらまつぴーの奮闘で、ようやく辿り着いた時間でした。ですが、これが目的であった訳ではなく、ようやくスタートを切ることが出来たにすぎません。ではありますが、単なるスタートではなく、田原市にとっては大きな、大きな「一歩」であると思います。し、そうでなければ、そうしなければならない!と強く思う、そして「社会的復権」の核心を『必ず理解してみせる!』と思う次第にございます!(  ̄^ ̄)ゞ
ご理解いただき、お集り頂いたPSW皆さん、感謝です。これからも、ひらまつぴーを、田原市を、そして あらいを ご指導ください。田原市は、「精神科病院が無いから仕方ない…」とは言いません。こうした連携で、協働で解決を模索していきます。ので、ご牽引ください。しっかり学びます!走ります!ゆえ、今後とも「よろしくお願いいたします!」<(_ _)>
畳の上に胡坐をかきながらフランクであっても熱く語り合える時間。今から『早く「次」の「 chanoma(茶の間) 会議」の日程、決まらないかなぁ~。((w´ω`w))』と思う、あらいにございます。
arai
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