嬉しさと寂しさ
愛娘は5歳。近くの保育園に通っています。
ついこの間まで、何をするのも、どこへ行くのも親が一緒でないとダメな子でした。
今、サンタさんから頂いた補助輪付きの自転車に乗り、同じ保育園の友達のところへ遊びに出かけて行きました。
少しずつ成長していく彼女に感動し、それを嬉しく思うと共に、ちょっぴり寂しさを感じる あらいです。
今年も残すところ9時間ですね。
arai
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愛娘は5歳。近くの保育園に通っています。
ついこの間まで、何をするのも、どこへ行くのも親が一緒でないとダメな子でした。
今、サンタさんから頂いた補助輪付きの自転車に乗り、同じ保育園の友達のところへ遊びに出かけて行きました。
少しずつ成長していく彼女に感動し、それを嬉しく思うと共に、ちょっぴり寂しさを感じる あらいです。
今年も残すところ9時間ですね。
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朝6時、蒲郡温泉H野屋の一室に「マジンガーZのテーマ」が鳴り響いた。
あらいは叫んだ!「小田ーっ!」
小田は心の中で思った「僕じゃないのに...」
夏目の携帯だった。
(プロジェクトX風に)
arai
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今年も残すところ あと数日。時が過ぎるのは早いものだなぁ、と実感します。
今年一年、いろんなことがありました。そして とてつもなく多くの勉強と経験をした一年でした。数え切れないほどの多くの方とお話をさせて頂き、また先駆で走ってみえる著名な大先輩のお話も、たくさん、本当にたくさん拝聴することが出来ました。あらいにとって忘れられぬ、否、決して忘れてはいけない1年になりました。
で、年末はバタバタと何かと忙しくなりそうなので、暇な今のうちに(暇なのか?)この一年を振り返ってみたいと思います。長くなりそうですが、暇な方はどうぞ最後までお付き合い下さいませませ。
2005年1月。介護保険との合流問題に大揺れし今年は始まりました。障害8団体は「合流やむなし!」で一致。急きょ、東京・日比谷公会堂において緊急集会を開催。一部の反対者が開催をも反対しており緊迫した中での開催になりました。「舞台の裏方は工房」と、全国地域生活支援ネットワーク事務局長 戸枝さんから応援要請があり、あらいは かみや代表、naitoさん、たろ父さんの「工房一座」と共に東京に乗り込みました。日比谷公会堂といえば以前、社会党党首が刺殺された場所。「尾辻さん(前厚労相)がピンチになったら、あらいさんが盾になるんだよ、ふふふっ。」と戸枝氏。隣で「ぷっ!」と笑う全国地域生活支援ネットワーク代表 田中氏。(ToT)
あらいは未だ生きています。
2月。今年も参戦「アメニティーフォーラムinしが」。大津プリンスで3日間缶詰めになり開催される障害福祉の祭典。連日深夜、一般参加者とは別で開催された「全国ネットワーク・戦略会議」には衛藤前厚労副相や藤原育成会会長、厚労省 村木課長も参加され豪華なものでした。(^o^)/
終了後に開催された「田中代表結婚披露パーティーにも出席させて頂き、天にも昇るような気分の3日間でした。(詳しくは工房HP・特設ページ アメニティーフォーラム参照)
4月。ふぃ~る工房の念願であったアトリエが開きました。「毎日 工房に来たい!」という方のニードに応え、また日中の活動場所のない方のためにデイサービス機能も兼ね備えた、それが「デイセンターあとりえ」です。V(^-^)V
5月。豊橋フォーラム開催。なんといっても これが工房にとって今年一番の出来事だと思います。今 思いかえしても豪華なシンポジストの皆さん。一人一人のお話を拝聴するのにも大変なのに、一同に会して お話 を聴くことができ、しかも深夜にわたりスピリッツを注入して頂いた、これまた涙チョチョギレもん!また連日連夜に渡り、企画・準備にとお手伝い頂いた「工房一座」、「MATSURI組」には本当に感謝いたします。ありがとうございました。(詳しくは工房HP・特設ページ 豊橋フォーラム参照)
7月。小坂井町 障害児レスパイト事業が開始されました。たろ父さんが地元行政に訴えかけ、熱意ある行政マンがそれに応え、ようやく実現したのがこの事業です。支援法になり、地方自治体に多くの裁量権が移る、ということは皆さん周知のこと。でしょうが、たろ父さんの一連の動きをみていると、やはり簡単ではないなぁ。というのが正直な気持ちです。市民と行政と事業者が一体となって諸問題を自分事と考え、協働していくことこそ重要なんだと実感しました。
(余談ではありますが、このころ「藤原ごっこ(全育成会長)」が始まり、あちこちで「どやっ!ええでぇ!」が聞かれました。楽しかったでぇ!)
9月。ふぃ~る工房6周年祭 開催。安形、戸枝両理事、たろ父、かみや代表をシンポジストに、そしてスペシャルゲストに厚労省 大塚専門官をお迎えし、今後の福祉施策のあり方を勉強しました。で、あらいはナント!この豪華メンバーのシンポの進行を務めさせて頂いてしまいましたっ!安形さん、終了直後に「やっちゃったねぇ、とうとう表舞台に出ちゃったねえ。ひひひっ。」って。やはり私は裏方がいい。今 考えるとメチャ恐ろしいことをしてしまった...。( ̄○ ̄;)
そして もうひとつ。豊橋100周年記念事業 「とよはし百祭提案イベント・art canp in 豊橋」を開催しました。豊橋駅前広場に市内は勿論、県内全域から約100人の障害児・者の方にお集まり頂き、パァーと派手に「色あそび」をやっちゃいました!
大変だった。なんてもんじゃない!ハチャメチャ過ぎて笑いが止まりませんでした。噴水池は黄色に染まるし、広場一面に赤や青が飛び散るし、スタッフのTシャツどころか顔までペンキで鮮やかに塗られてしまいました。本当に楽しかったなぁ。片付けは大変だったけど...。あっ!そうだ!片付けに駆け付けてくれた中部福祉のサポ軍団、本当にありがとでした。皆様のお姿が見えた瞬間、あらいめは嬉しくて泣けました。後光がさしておりました。(T_T)((詳しくは工房HP・特設ページ 工房6周年祭参照)10月。「ひろ&あり」むそう一周年祭で初ライブ!個人的ではありますが、ある意味これが一番面白かったですなあ。しかも戸枝さん作詞・曲、あらい編曲のオリジナル曲「オレンジの潮騒」を含め5曲も披露しました。が、連日 深夜に練習を開始、一日数時間に及ぶ練習に、戸枝さんの左腕は悲鳴を上げ、続いて あらいの右肘は壊れてしまい、不安を抱えたまま本番を迎えました。
ところがどうでしょう!戸枝さん、あれほど痛がっていた左腕を気にも掛けずギターをかき鳴らし、しかも練習で苦労し成功を危ぶまれた曲まで完璧に演奏しちゃいました。
ライブ後の戸枝さん、もう自画自賛!というより自画絶賛!あげく「アメニティーまでに もう2、3曲作って売ろう!ついでにライブ何かやっちゃう?がはははっ!」って感じでした。満更ではない あらいでございます。ぷぷぷっ。(詳しくは工房HP・特設ページ むそう一周年参照)
そして今月12月。田原市でも長期休暇中の障害児レスパイト事業が開始されました。ここも小坂井町のように親さんのニードを熱意ある行政マンが応えて下さったもの。たろ父さんがよく言っていた「行政との協働方法の飛び火」が、ここ田原市で実を結んだカタチですよね。現に田原市担当者さんと小坂井町担当者さんは密に連絡を取り合って下さっていますしね。こういった皆さんの努力を無にせぬよう、小坂井同様、大事に育てていかねばいけないと思います。
簡単ではありますが、あらいは こんな1年を過ごしました。大変だったことは確かですが、楽しいという思いの方が絶大に大きい1年でした。
こうして1年を振り返ってみると、あらいは本当に多くの皆さんに支えられ今があるのだなぁ、と感じます。会員の皆さん・親御さんは勿論のこと、安形さん、戸枝さん、そして島崎御大、大将こと田中代表はじめ全国支援ネットワークの皆々さん、各市町の行政の皆さん、むそう・あかね荘・べにしだの家の職員さん、MATSURI組、そして いつも相談に乗って下さり良きアドバイスをくれる naitoさん、いつも愚痴を聞いてくれ、酒を付き合ってくれる たろ父さん、で、その酔っぱらい二人の世話を深夜に至るまでして下さる たろ母さん。感謝です。そしてなにより、あらいのワガママをイヤな顔をしながらでも聞いてくれる か みや代表はじめスタッフの皆さん。皆様に本当に頭が上がりませぬ。年が変わろうと、あらいの性格が変わり急に大人になるとは思えません。っちゅうことで変わらぬご支援のほど、よろしくお願いします。m(__)m
06年は、障害のある方は勿論、私たち障害福祉に携わる者にとっては、激動の年になります。というよりも激動の時代の始まりです。今年も残り数日ですが、最後までしっかり走り抜けようと思います。そして心して新年を迎えたいと思います。
この一年間、ふぃ~る工房ならび あらいを応援して下さった皆様、パッとしないこの「あらいブログ・少年老いやすく学成りがたし」をのぞいて下さっている皆様、あらいは来年も頑張りますので、ご支援のほど よろしくお願いいたします。
年越しを前に、この一年を総括してしまいましたが、このブログは止まりませんよ!
さて!今日は忘年会。飲んで、騒いで、暴れてやるぞーっ!いってきます!!
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24時間、365日をうたう生活支援サービス事業所をしていると、大掃除をするタイミングが実に難しい!なんせ今日も5時から受け入れがあり、しかもその方は年を越し4日までみえます。
利用者さんがいない日・時間を見つけ、その隙間を縫うようにして大掃除を敢行しなければいけません。
で、只今 本部はひっちゃかめっちゃか!
あらいはワックス掛け担当。毎年です。一心不乱に掛けます。毎年です。ワックス掛けをしながら、この1年を振り返ります。爆音の中。毎年です。
で、その爆音の招待がこれ!
「萩原健一・アンドレマルローバンド LIVE」、今から ちょうど20年前にリリースされた年代物。
尊敬(?)する ショーケンの魂の叫びを聴きつつ、魂を込めワックス掛けをする あらいでございます。
arai
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「プロジェクトX」。NHKの人気番組が今日、幕を閉じました。6年もの長きに渡り続いたそうです。
そして「地上の星」。この番組のテーマ曲です。勿論ご存じのことでしょうが、中島みゆきさんが歌う大ヒット曲です。(ちなみに私は田口トモロヲさんの語りが、たまらなく好きです。)
どうしてこのタイトルになったのか。今夜 最終回を迎えた番組の中で、そのお話がありました。
番組のメインテーマは「困難に立ち向かった無名の挑戦者たちに光を当てる」だったそうです。このテーマに感銘を受けた中島さんは、曲作りの依頼を受けたとのそうですが、曲作りは難航したそうです。
悩んだあげく中島さんが出した答えは「光を当てる。のではなく、彼らが光っていたのだ!だから光を当てる必要はない。彼らの存在が光、星なんだ。」ということだったそうです。
あらためて歌を聴きました。泣けました。
ゲスな番組が多くなり、あまりテレビを観なくなった あらい。観たいテレビが見つからないと、更にテレビが嫌いになっていきそうです。頑なに。
最後の言葉は「思いは叶う」。どんなに小さくても地上の星になりたいと思った あらいでした。
arai
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おはようございます。我が町は今朝も、ほんの少しですが粉雪が舞っています。相変わらず寒い朝をむかえました。
で、昨夜、友人の しょじょじ君からメールをいただきました。新井ブログを見て「レスパイトって何?」って。
ので、なりに丁寧にレスパイトや障害福祉についての説明しました。そしたらこんな返信が。嬉しかったのでアップします。
>わかりました。深い事やっとるね〜。 俺らには、そういう接点がなかなかないで、少し外の話のような気がするけど、そーじゃあいかんね。
以上
だって。ちょっと泣けました。伝えていくこと、語っていくこと、そして理解してもらうことも僕らの大事な仕事なんですよね。
arai
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先にも書き込みましたが、今日から小坂井町と田原市でレスパイト事業が始まりました。長期休暇中、外出機会が減ってしまいストレスを溜めがちな児童さんと、親さんの休息時間の確保が目的です。
で、先ほど田原に出ていた新人なつめ君が、夜の利用に入るため本隊とは別に一足先に帰って来ました。帰るなり赤いエプロンをそそくさとして(想像しないでやって下さい)、夕飯の支度を始めました。
あらい「どうだった?田原は。」
なつめ「はい、無事に終わりました。思ってた以上に出来ました。」
と話すと、またすぐ台所に戻り、煮物との闘いを再開しました。
今夏の なつめ君なら間違いなく「泣き」が入っていたはず!が、なんでしょう この余裕!心配していた あらいは少々ムカつきました!
あらいは よく本人さんや親さんに「スタッフを育てて下さい。」とお願いをします。
本人さんにとって最高の支援者は、間違いなく親さんです。当然ですが その親さんの通り本人さんの支援は出来ません。であるなら、本人・親が思うような支援者に育てるしかないのだと思います。
この半年、なつめ君は、そんな皆さんに「育てていただいた」んですよね。
arai
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学校も冬休みに入りましたね。で、いよいよ始まりました「レスパイト事業」!
この冬は、今夏から始まった小坂井町に加え、田原市の児童レスパイトも始まりました。当然ですがデイセンターも動いており、工房スタッフは総動員!
どちらの市町も、親さんの熱心な訴えに行政が応えて下さり始まりました。両者の熱意を無駄にすることのないよう、事故無く、ケガ無く、無事に過ごさねば!と気を引き締める あらいでございます。
arai
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聖なる夜の一大イベント。
恒例クリスマスパーティーが今、始まります。どうです?素敵な雰囲気でしょ?スタッフは勿論!正装で皆様をお出迎えです。
ふぃ〜る工房 今年最後のイベントです。ブァーっと派手に騒ぎますよっ!
arai
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あらいの住む愛知県東三河地区は、一冬を通じて雪の降る日は数えるほどで、雪を見る機会はほとんどないという温暖な町です。
が、今年はどうしたことか連日雪が降り続いています。今日なんかはボタン雪が降り、車の通りの少ない路地は真っ白状態で、ある意味 幻想的で素敵。
ってノンキなことを言ってる場合ではない。今日あちこちで事故や追突車両を見ました。当然ではありますが、雪の備えが出来ていないというか、雪の怖さを知らないからなんですよね。
先日、あらいの愛車が変わりました。偶然ですが4WDに変換可能な車です。
おそるおそる ゆっくり走る車を後目に、軽快に走り抜ける快感に浸った素敵な一日でした。不謹慎ではありますが、「冬将軍バンザ〜イ!」です。
arai
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「N―2B」(詳しくは12月5日 米空軍エアフォース参照のこと)。
あらいのことを多少なりともご存じの方であれば、これだけでもうお察しのことでしょう。
パイロットJKコレクションを、また一つ増やしてしまった...。(・_・;)
arai
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あらいは甘いモノが好きではありません。というよりキライ。チョコなら煎餅、ケーキならチーズ。勿論 飲みモノはブラックコーヒー。
が、そんな あらいですが年に3回ほどケーキを食べます。
1回は、バレンタインデーに事務局長いくちゃんが、義理チョコ代わりに作ってくれるチョコケーキ。2回目は、みお率いるクッキングチームが作ってくれるシフォンケーキ。
そして3回目は、田原(旧渥美)レスパイトのクリスマスパーティーで、みんなが作ってくれる このクリスマスケーキです。
今日も目を瞑り、しっかり味わい、おいしく頂きました...。(・_・;)
arai
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かみや代表はじめスタッフ一同から「ワガママ」と言われ続けていても、一向に改め様としない私。
そのワガママな あらいに健気に、従順に尽くしてくれた愛車「レグナム」が今日、あらいの手を離れました。
さぞやツライ思いをしたであろう愛車に敬意を表し、寒風の中、手洗いをしディーラーさんに涙ながらに引き渡してきました。
本当に永い間、お疲れさま。ありがとうございました。
arai
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おはようございます。めちゃ寒い朝です。
揚げバナナは今から朝食。済ませたら あとりえへ移り2日目の練習を開始します。
昨夜はバーベキューで さんざん盛り上がり、騒ぎ過ぎたせいか、なかなか みんな起きてこない。(>_<)
が、朝から異様にテンションの高い2人、店長とトモキさん。どうあれ、揚げバナナは今日も元気です!(^_^)v
arai
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「田中塾」。我が ふぃ〜る工房 隅にしか置けないコーディネーター小田が、崇拝してやまない全国地域支援ネットワーク代表を「塾長」とした、小田さんのバーチャルな世界です。
田中代表、以前は「小田君のバーチャルな世界ですからぁ、はははっ!」と軽くカワシテいたのですが、先の行動援護研修会の際には「っんなものぁー、ねえよ!」と今度は軽くキレられたとのこと。
少しは懲りたかなぁ。と思っていました。
がっ!彼の野望は途絶えていなかったっ!
彼は塾長・塾生に対し「手作りTシャツ」を送り、ことあるごとに着てもらい、満面の笑みを浮かべる。という奇妙キテレツなる男。
「田中塾長」、「お会計 本多さん(日本財団)」に引き続き、行動援護の父と呼ばれる「加瀬せんせい(学芸大)」にも送るTシャツの梱包を、いよいよ済ませたとのこと。
隅にしか置けないコーディネーター小田。彼の野望は続く。恐るべし田中塾!
arai
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ふぃ〜る工房本部に、毎年恒例のクリスマス・イルミネーションが点灯されました!
クリスマスまでの短い期間ではありますが、どうか宿泊される お客様、しっかりと楽しんで下さいませ。m(__)m
arai
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あらいは今、アメカジにハマっている。ということは以前にもここに書き込みしました。憶えておいででしょうか?最近めっきり寒くなり、厚手のブルゾンを着ている方を多く見かけます。ナイロン製のブルゾン。多くの方は「MA―1」と呼んでいるモノです。がっ!正式に違うんです。多くの型があるって事をご存じですか?
ということで、アメリカ空軍“エアーフォース”で着用されているパイロットジャンパーについて書いてみようと思います。
まずはこれ。多くの皆さんが「MA-1」と呼んでいる代物。ですが正式名称は「B-15C」。1951年に生産が開始され、この改良型「MA-1」が開発される1957年までの間、長く米空軍で使用されたモノなんです。
このシリーズの原型になったモノが「B-10」1943年に正式採用された布製ジャンパーです。その後、素材が布からナイロンに変わった最初のモデルが「L-2B」1945年から採用されたライトゾーン用(夏用と考えて下さい)で、ここで始めて襟のボアが取り外され、その流れを受け継ぐ形で「B-15C」、「MA-1」が完成したのです。
では何故、米空軍“エアーフォース”のパイロットジャンパーの主流がナイロン製に変わっていったのかもご説明申し上げたいと思います。
米空軍航空隊の正式フライトジャケットは、この「A-2」でした。が諸問題が多くあり、改良を余儀なくされました。特に馬皮製であったため高価で、しかも堅く大量生産が難しかったため、様々な素材をテストしました。その結果、パイロット ジャンパーは今のナイロンジャンパーが主流となり、幹部級は馬皮製を着用することとなりました。(余談ですが、ニュースで米大統領が軍を慰問する際は必ず着用していますよ。)
が、この「A-2」、夏は暑いが、冬は寒い!まして当時はジェット機ではなくプロペラ機が全盛の時代。機内の機密性があるわけもなく、空調なんてことは聴いたこともない時代だからパイロットはタマッタもんじゃない!ってことで開発されたのが「B-2」。極寒地用として1931年に正式採用。
そして写真。この「B-2」を更に改良した「B-3」が1934年に登場。これまでの馬皮製から、素材を羊皮に変えたことにより、柔らかく機能性がアップ。更に襟も大きく機密性、防寒製の優れたモノとなりました。主には爆撃隊が着用していたようです。この後、戦闘機の機内が狭くなり機密性が高まると、「B-3」ほどの防寒製が求められなくなり、1939年に誕生したのが「B-6」です。フォルムは「B-3」と酷似していますが、中綿の毛足が随分と短く刈り込まれているのが特徴です。
この他にも、第二次大戦中の極寒地用として作られた「N-3(MA-1の裾を伸ばした感じのロングタイプ)」や、大戦終了後、この「N-3」を機内でも着られるように裾を短くし、襟周りの大きいままの「N-2」があり、朝鮮戦争の際の爆撃隊はこれを着用しました。
ふ~っ、まあ簡単ではありますが、ざっとこんな感じでございます。一括りにブルゾン、ジャンパーと言ってもなかなか奥が深いモンでしょ!このメーカーがお薦め!は、あらいのお気に入り「バズ リクソン社」。写真は全てそうで、あらいの私物。他にも「アルファー社」、アビレックスって聴いたことあるでしょ?ここはなかなかお値打ちで購入しやすいかと思います。あとはマニアな「マッコイ」くらいかなあ。この冬、パイロットジャンパーを購入する予定のある方は、ぜひ参考にして下さいませませ。
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昨日、名古屋市厚生年金会館にて「べにしだの家 開設10周年記念会」が盛大に行われ、神谷代表と共に招待して頂いた あらいは「場違い」と知りつつも出席してきました。
で、内容の詳細は「ふぃ〜る工房掲示板」にアップしましたので、寝付けず暇な方は暇つぶしにでも読んでやって下さい。
写真は、会の最後に披露された出席者(利用者、親さん、職員、支援者)100人による「よさこいソーラン」の様子。写真では現場の迫力は伝わりませんが、圧巻でしたよ。
何はともあれ、べにしだの家・開設10周年、おめでとうございます!そして、これからも末永く ふぃ〜る工房を ご贔屓に〜!
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北信圏域障害者生活支援センター所長 福岡寿さんとお話しをする機会があり、神谷代表、隅にしか置けない小田さん、たろ父さんと共に しっかり勉強させて頂きましました。
福岡さんといえば「北福岡曽根来」と呼ばれる地域支援の世界で輝かしい業績と実績を誇る四天王の一人で、我らが全国地域生活支援ネットワークの理事でもある。ということは皆さんも周知のことと思います。が、念のため。
で、ブログを持っていることを話すと「是非、書いてよ!」って言って下さったので、調子にノって掲載させて頂くことにしました。ので、工房理事様、叱らないで下さい!福岡さんが書いて下さいって!本当です、信じて下さい!だから怒らないで・・・。
で、どんな話だったかというと、昨今の支援法騒ぎはひとまず置いておいて、福岡さんの経歴や取り組みや長野県の福祉施策の進捗状況などを丁寧にお話し下さいました。
心に残った話の中に「長野、特に雪深い田舎町の福祉を変えたのは、1人の重症心身障害者の方なんです。」という話です。その方は脳性麻痺で全介助。誰かの支援を受けなければ生きていくことが出来ないという最重度の障害者とのこと。通常であれば、24時間の支援体制がとれる入所施設を利用を選択するところなんでしょうが、その方の施設入所を頑なに拒んだ方がいた、それはお母さんだったそうです。その昔、児童入所施設の見学にいった際の印象が劣悪だったそうで、何がなんでも地域で暮らし続けると誓ったそうです。
で、それだけ意志の強いお母さん。ことあるごとに福岡さんに対し地域で暮らし続ける為の提案や要望をされ、その都度、支援者が集いケア会議が行われた。そしてその際「出来ない!」という答えは絶対に出さなかったそうです。そのワーカーさん達の「情熱」に撃たれた行政や医師が手厚く分厚い支援体制を確立されたそうです。そしてその支援体制の充実に伴い、必然的にこの「重症心身障害のある方が生活出来るグループホーム」の準備が始まりました。
ですがそんなある時、重身の彼の症状が悪化し、もうダメかなあ。と思っている時、お母さんはその彼に対し「あんた死んだらいかんよ!あんたにはまだやり残した仕事がある。その仕事をやり遂げなさい!」と説教したそうです。どうです?号泣でしょ。
その彼は、残念ながら もうお亡くなりになったそうです。
その際にも、それまでクレバーに彼と接していた担当医は、病院中の医師、看護婦を病室に順に呼び、代わる代わる心臓マッサージをさせたとのこと。彼の生命に対する執念か、福岡さんをはじめとする支援者の情熱がそうさせたのかは分かりませんが、何かがクレバーな医師の心を撃ったことは事実なんですよね。
皆さんは、福岡さんの講演を聴かれたことがありますか?軽快で、軽妙で、ユーモアに溢れ、まるで落語か漫談でも聴いているかのような錯覚に陥るほど楽しく、聴いている者を引き込む。それでいて時に厳しく、辛辣な意見をズバッと言い放つ。聴いている者にはとても歯切れ良く気持が良い。しかし、そのユーモアに溢れた語り口調の裏には、批判しなければいけない本人に対し、この辛辣な意見を言い放ち分かってもらわなければならない。福岡さんなりの気配りであり、使命感なんではないかと感じました。
別れ際「群雄割拠の豊橋で大変だと思いますが、これからもガンバッテ!」と素敵な笑顔で声を掛けて頂きました。僕らも「2月に滋賀で!」とお返ししました。滋賀でお会いするまでの2ヶ月の間、福岡さんに胸を張ってお会いできるよう頑張るぞ!と心に誓いました。
追伸。肝心なことを書き忘れました!別れ際、福岡さんが「あらいのスタイルに憧れちゃうなあ。いいよね、そのヘアースタイルも。僕なんかじゃ出来ないモン!」って。
福岡様。あらいは死ぬまでオールバックでいきます!一生、髪を下ろしません。
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今日から師走。先生も走る!ほど忙しくなる月だから「師走」と言われています。
?。ちゅうことは先生は普段は走ることはない!っていうことなのぉ?まぁ、なんて失礼な話しなんでしょうか。
で、今日12月1日は木曜日。そう、毎週木曜日は「名古屋・べにしだの家」での文化活動日です。午前は色、午後は音、と一日のんびりまったり過ごします。(^o^)/
で、午前の色での あらいの仕事は、画材(着ているTシャツに色を着けられます)と終了後のパレットや筆等の道具洗いです。
先週までは、屋外にある水場の水道で、せっせと洗い物に励んでいました。べにしださんでの活動も、もう4年半を過ぎているので、洗い方、順番にも自分なりのコダワリがあります。それがたまに上手くいかない時なんかは「んーっ!」ってなったりもします。(-_-#)
今日の洗い物から屋内の給湯の前になりました。水が冷たくなりました。
冬がもうそこまで来ています。
追伸。べにしださんが経営する「喫茶・游」に障害のあるスタッフがみえます。あらいとは飲み仲間なんです。
その彼に「飲んでる?」と尋ねると「血糖値が上がってヤメた。」って。
いろんな意味で素敵!
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