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2011年6月28日 (火)

ミサンガ


26日(日)

朝6時半、菅生サービスエリアを出発し、いよいよ被災地入り。まず向かった先は名取市仙台空港周辺。空港に向かうまでに目の当たりにし瓦礫の山に愕然としました。

しかし、これは単なる序章に過ぎず。空港周辺には言葉では言い表せない光景が。「ここには何があったのか?何が起こったのか?」想像し難い光景がパノラマに広がっていました。物理的に「何も存在しない」という恐怖を、産まれて初めて経験しました。


ミサンガ


高齢のご夫婦が立ち竦んでいる光景を見ました。たぶん、そこは二人の生活の場が「あったでのあろう」と安易に想像は出来るのですが、それを裏付けるものはそこにはなく。ただ荒れ果てた地に、二人の姿だけが。あまりに切ない。切なすぎる。

決して、決して甘い考えで被災地に向かった分けではありません。が、声を失う、打ちひしがれるだけの時間が、ただ流れました。これはあらいだけではなく、車中の皆が同じ思いであることは安易に想像することが出来ました。車中では、ため息とむせび泣くが響いていました。



その後、我らは東松島市を経由し石巻市へ。ここで現地で子どもの支援グループ「ほっと」本郷さんと合流し、被災地のガイドをして頂くこととなりました。市内を隈無く周り、我らが「悲惨であると思う現状」も、随分と改善されてきたのだという話に、やはり言葉を失いました。

石巻市で感じたのは、不快な「腐敗臭」です。テレビ等では決して伝わることのない、この感覚に「今、現地にいる」とことを実感しました。この腐敗臭の原因は、海から打ち上げられた魚や、海岸沿いにあった水産加工場の加工品が、そのまま放置され、今、正に腐敗し始めたのです。その悪臭たるや想像を絶するものでした。ほんの一瞬 車窓を開けただけで、鼻に着く悪臭は簡単には消えませんでした。

いたるところで、自衛隊が消毒を散布する姿を見ました。



更に車は女川町へ。テレビの報道で何度もみた、あの風景。高台に逃げた皆さんが納めた津波がまちを呑み込み、ビルでさえも薙ぎ倒してしまった、あの場所へ。手向けられた花束に、手を会わせるしかない無力な自分がいました。

私たちは石巻市へ戻り、東郷さんらの活動拠点を見学させて頂きました。そこでは、数名のスタッフと学生ボランティアさんらとで、被災されたお子さんらの放課後支援をされていました。東郷さんの言葉を借りれば「有り得ない悲惨な体験」をされたお子さんばかりで、今、正に「心のケア」が必要とされていることを改めて知らされました。


ミサンガ


田原市から持参したメロンを受け取って頂いた時の、あの皆さんの笑顔が目に焼き付いています。「お礼に!」と、そこにみえていた中学生が結んでくれたミサンガ。ここでは、お礼の気持ちをミサンガに託し、一本一本丁寧に編んでみえるそうで。目標は1万本。もうすぐ半分だそうです。

「切れるまで着けていると願い事が叶う」といわれる ミサンガ。あらいの願いは「みんな笑顔の毎日が、早く訪れますように。」です。


ミサンガ


夕方過ぎ、仙台市のホテルに入り、ここで初日を終了。目の当たりにした 有り得ない光景を受け入れることが出来ず、前日の睡眠時間が1時間であるにも関わらず、寝付くことが出来ず、記憶が薄らいだのは深夜2時を回ってからでした。




27日(月)

9時にホテル発。パンク修理やらで出発は1時間程度も遅れてしまいました。向かった先は南三陸町。多数の小学生を呑み込んだ北上川に隣接する大川小学校付近へ。

河川の堤防測道を走り現地へ。直前で通行止めになり、遠くにみえる惨劇の場を見て、また涙が零れました。脇には、大きな北上川を渡す鉄橋の向こう側 半分が破壊され、流されている様を見て、津波の破壊力を肌で感じました。ここでも、手向けられた花束に手を合わすだけ自分でした。

この北上川だけではなく、今回 感じたことは海や河川の「水位の高さ」です。これは、雨で水嵩が増したという単純な理由ではなく、有り得ない広範囲で地盤沈下が起こったから。ようは、「水位が増した」と勘違いするほど地面が陥没しているのです。だから、堤防測道にも関わらずギリギリを川が流れていたのです。


我らは、ここを今回の北限とし再度 南下。名取市へ。名取市の惨状の中を抜け、通所事業所の「るばーと」さんを訪問。ここは元々あった事業所が水没してしまい、今月頭からようやく市街地に場所を借りることが出来、事業を再開されたところ。決して大きいとは言えない事業所には、溢れんばかりの利用者さんがみえました。


ミサンガ


お忙しい時間、というよりも、震災の事後対応が未だに済んでおらず、という状況でしたのど、少しお話を伺い、また改めてお邪魔させて頂くことをお約束し、るばーとさんを後にしました。今回、唯一 障害のある方と接した時間でもありました。

「明日の昼食には、頂いたメロン、みんなでたべましょうね。」と利用者さんを送り出す目黒所長の笑顔が、やはり忘れられません。




今回、この名取市るばーとさんが最後の地でした。
正直な気持ちですが。『これを見てしまった、知ってしまった今、自分は何をするのだろう?何が出来るのだろう?』という絶望感。それとは真逆な『あれをしなくては!これをしなくては!』という湧き上がる闘志。何とも複雑な感情であります。

少なくとも 出発から50時間。2050キロを移動する時間も、食事をする時間も、寝る間以外の時間は全て、神谷さん、伊藤さん、藤田さんと話をしました。問題・課題を提起し、解決のための方策を練り、役割を議論しました。私たちのミッションを確認しました。



この時間を、きっと役立たせてみせます。
それこそが被災地を「復興地」へと変えるために、歯を食いしばり闘う東北の皆さんへの私たちからエールになると信じます。



 arai

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