「虐待」と呼ぶには
今日午後は、田原市要保護児童対策地域協議会に参加しました。
昨年4月に召集された この会議。参加当初は、ケースの多さと その支援の困難さに、ヘロヘロになっていました。目の前に、ごく普通にある普段あまり見ることのない「虐待」の二文字に。
今でも その二文字に慣れることはありませんし、事の重大さに変わることはありません。が、今では資料に目を通さずとも名前を聞けば、そのケースの概要や背景が浮かぶようになりました。
これは決して良いこと、喜ばしいことではないんですよね。それぞれが困難なケースであるから、長期化しているってことですもんね。
更に。今日、新規ケースとしてあがったものは、虐待をしたとされる側が、自身で自身の命を絶とうとしたそう。
どんな理由があろうと、何人であろうと、自身でSOSを発することが上手く出来ない者の「心」や「体」を傷付けることは許されません。
が、しかし。頼る者もなく、どうすることも出来ず、ただただ一人苦悩し、自死を選択しようとした者の行為を、「虐待」という二文字で表記しなければいけないとは、あまりに切なく、悲しい。
でも。召集されたメンバーは必死です。事務局の子育て支援課を中心にしたメンバーは、誰一人 諦めることなく、必死で支えようと議論しています。
福祉も、教育も、保健も、地域も、行政機関も。みんな必死に。
arai
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