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2012年12月19日 (水)

もう一つの肩書き


あらいは、「田原市障害者総合相談センター長」であります。これは皆さんも よく ご存じのことかと思いますが、このセンター長は「田原市相談支援機能強化員」が務めることとなっておりまして。で、この機能強化員は毎年の企画競争で決められております。

市が「常に緊張感を持って」という思いから。名前だけの機能強化であってはいけない、肩書だけのセンター長であってはならない。という思いから。ので、あらいも、いつセンター長から「陥落」するか分からない、という緊張状態の中での4年間であります。((・(ェ)・;))



ちなみに。今年度から3年間は第3期 障害者計画・障害福祉計画の期間でありまして、今年度の企画は この3年間を網羅するものとなっておりましたので、今年度 この大役を担わせて頂くことになった あらいめは、向こう3年間は強化員であることが出来るため、必然的にセンター長も担わせて頂くこととなります。

田原市は、この第3期 障害者計画・障害福祉計画の策定をコンサルに依頼することなく、行政を中心として「自前」で作成しました。あらいはこの作成に深く関わらせて頂いた身でありますので、思い入れもあり、やり甲斐を感じます。(  ̄^ ̄)ゞ



で。あらいには田原市から頂戴した もう一つの肩書き(役割)があることを ご存じの方は、意外に少ないんじゃないでしょうか?

「学校介助員コーディネーター」です。その名の通り、児童・生徒と保護者と学校・教育委員会そして介助員派遣事業所を繋ぐ、という何とも過酷で、そして やり甲斐ある職務であります。(`∇´ゞ



で、先週、今週と その学校介助員Coの仕事で、市内の小中学校を継ぐ者山本さんと回っております。今日で5名の お子さんの「未来」について、教育と福祉、行政が語り合っております。(*^o^*)

で、感じることは。どこの学校でも、どの先生も、皆さん「介助員さんは、本当によくやって下さいます。助かっています。」という、何とも ありがたいお言葉ばかり。日々、教育の現場で「孤軍奮闘」している介助員さんの労苦が報われます。あらいとしても感謝です。

と、逆に。以前にも書きましたが、学校介助員の業務内容にある「援助」「指導補助」そして「介助」が、年数を経て若干「曖昧」になっている。ってこと。ここのところを抑えておかないとプロフェッショナルとしての仕事を求められ、教育の現場に介入しているにも関わらず、ただの人的補完に成りかねない。そんなことを危惧します。



やはり。来年度の学校介助員派遣に関しては、一定の基準というか基軸が必要であると、強く感じる、そんな2週間であります。やり甲斐を感じながら、この大事な基準・基軸と向き合いつつ、第3期 協議会マンスリーに挑み、来年度に向かいたいと思います。



 arai

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コメント

その若干の曖昧さが必要なんじゃない?とか思うスギウラです。

この場合曖昧さ回避というのは、派遣要望に対しての条件付けを厳しくするってことですよね、ぶっちゃけて。

確かに派遣基準は必要です。
でも現実的に言って「どんな形でもいいから人手が欲しい」というのが本当のところだと思います。実際、ワタシは息子の進学にあたり地元の中学校や教育相談として強く市に支援員介助員を要望しました。

それはなぜか。

軽度と中度の境目にいる息子の進学。
地元の中学校への入学は決して楽観できるものではありません。不安はつきません。支援学級生徒の大幅増が見込まれていますが、教師の増員は見込めません。環境の変化に本人も周囲も必死な生活が待っています。思春期ゆえに今はない強い不適応を起こすかもしれない。そうなればきっと地元の中学校の支援学級では対応できないでしょう。深刻な事態になる前に、できるかぎり受け皿を支度しておきたいのです。
ならば環境の整った支援学校はどうか。
特別支援学校には学校説明会の時点でお断りされます。軽度に分類されてしまうからです。
「むしろ軽度じゃなくて中度ならいいのに」というお母さんがいます。(ワタシじゃないよw)療育手帳の判定が低いほど喜ばれる現実って、どうなんでしょう。

支援はマンパワー無しには実現しません。
でも職員を増やせない。
だからこその曖昧さ回避なのだとしたら。

なら今いる職員がやるしかない。支援員・介助員に頼らなくても、先生が支援の必要な子供に対応できるようにならねばならないんです。
教育と福祉の連携が深いといわれる田原市ですが、支援学級以外の先生はちゃんとそこを理解して対応してくれているのかどうか。ずばり疑問ありです。介助員・支援員制度の導入は、子供へのフォローだけでなく教師の負担を軽減する目的もあったでしょう、でも、支援しなくていいわけじゃない。
支援員介助員派遣の条件付け基準を作るのと同時に、学校の教師による支援の質を向上させ、職員誰もが支援学級の子供たちに対応できるスキルを身に着けることを要望します。


・・・なんか堅いぞ?w
結局は、学校に限らず
困っている人を助けてあげられる社会になればいいんだよね^^
ってことです。
やっぱ共生のまちづくりなんでしょうね。

投稿: スギウラ | 2012年12月19日 (水) 13時06分

スギウラさま

お世話になります~!お寒うございます~!

で。あらいも仰る通り、「良い意味での」曖昧さは必要であると思っています。四角四面では上手く事は運ばない、そんなことって たくさんありますもんね。

で。あらいの説明不足で、誤解させてしまっているようですので、この場で訂正というか、修正させて下さいませ。


「派遣要望の基準を厳しくする」のではありません。それ自体は旧来とほとんど変わることはありませんでぇ。ただ、派遣されるとして、介助員は、「何を」「どの程度」するのかを明確にするってことでしてぇ。

文中にも書きました、介助員さんは「支援のプロ」です。その支援にプロが「誰でも出来ること」をする必要はないと考えております。で、教員は「教える・育むプロ」です。学校は、そのプロの皆さんの職場、いわば戦場です。我ら福祉の者が あれこれともの申せるはずなど、あろうはずはなく。

ので、教育者として行うべき事項は行って頂き、介助員は福祉の専門家としてその専門性を教育のプロに伝える。その基準・基軸が必要であるということであります。

と、もう一つ。
「支援はマンパワー無しでは実現しません」は、これまた仰る通りだと思います。が、が、が、だとして、そこに専門性を必要とされ介入している介助員という福祉のプロを人的な補助で流用するのは、やはり違うと思うんですよねぇ。

だって。例えば、相談支援専門員の あらいに「どうせセンターにいるんだから、この経費、精算して帳面つけといて」っていうのは、有り得ないですよねぇ。やって出来ないことはないとは思いますが、それは事務員さんの仕事ですもんねぇ。

仰る通り、教育現場で人員補充がままならないことは承知しております。だとして、田原市は、まぜ他市では有り得ない「福祉予算での教育介入」ができたのでしょうか?

それは、障害の特性を理解する者の介入によって、理不尽に(全ての子どもじゃないですよ)遠距離移動を強いられ、特別支援学校へ通わなくてもよい障害のある子どものことを真に考え、議論し、そして動い行政マンがいたからです。有り得ないことを成し得たのです。

だとして。教育も「増やせない」では済まないと思うんです。「障害のある子ども」である前に「田原市の子ども」です。教育は、この子どもの「学ぶ権利」を真剣に考えなければいけないと思います。

だとして。これも仰る通り「先生が支援の必要な子どもに対応出来るように」は介助員から学ぶため基準・基軸が必要なんだと思っています。


ってな感じです。本文の説明が曖昧なばかりに、スギウラさんに誤解をさせてしまい、ほんでもって不快な思いをさせてしまいました。本当に申し訳ありません。
でもね。あらいごときが言うことではないですが、田原市教育委員会も必死に考えて下さっていますよ。書けませんが。


で。結局は。「困っている人を助けてあげられる社会になればいい」ってところは、激しく同意であります~!これっきゃないんですよね~!障害の有無にかかわらず、等しく学べる・遊べる・暮らせる、そんなまちにしなくちゃいけないですよね。

それこそが、「共生のまち」ですもんね~!(  ̄^ ̄)ゞ

ってことで、これからも こんな あらいではありますが、ご指導のほど、よろしくお願いしますぅ。見捨てないでぇ。( ^ω^ )

投稿: あらい | 2012年12月19日 (水) 15時57分

見捨てるとかナイナイwむしろこっちが見限られないようにせねばですよ。ええ。
不快感なぞ感じておりませんよ、まったく。

福祉のプロと教育のプロが同時にあって、それぞれの立場を慮っての基準を設定するということなのですね。それは教育現場に他者が入り込む難しさをクリアする意味で最初に設定がなされていたものが曖昧さをはらんできているということなのですね。理解いたしました。

ならば、言い換えれば「必要な曖昧さ」として現場にあるという解釈も行われるかと思うのですが、そのあたりはどうなのでしょう。
そもそも「誰でも出来る支援」を行えない教育者がそこにいるのでは?
教育者としてのポジションを固持する目的で介助員を求めているのではないのか?などとうがった見方もしてみたりするわけです。
そもそもの特別な支援を求める子供たちを教え導く立場、その子供個々にあった対応が必要であるのに、それさえも実践できていない(子供にあった支援教育を行ってもらえない)という話は、ふれあいキャンプでも実際に語られた事例ですよね。
また、介助員さんのお力は頭の下がるものですが、、、子供に手を上げるような人もいる、と聞いています。あらいさんはご存知でしたか?当事者の方は学校と話をされて改善に向けて動かれていますし、些少の行き違いあってのことではないかと考えていますが、事実そのような話を聞くと不安を感じます。

支援を必要としている子供がいて、そのためにご尽力くださっている方が大勢いること、本当に感謝しています。
スギウラは今以上により良い環境づくりのためならば、どんどんきもちを伝えたいと思っています。
乱文失礼いたしましたー。

投稿: スギウラ | 2012年12月19日 (水) 18時57分

スギウラさま

ご理解頂き感謝でございます。繰り返しになりますが、説明不足、力足らずで申し訳ありませんでした。m(_ _)m

で、「誰でも出来る支援を行えない教育者」という点。確かに大事な視点であると思います。残念ながらスギウラさんがそう感じてしまう教育者がいるわけですから、あらいとしてもコメントし難く。単純に「質」というのであれば、それは「教育の分野」で、しっかりと議論して頂くことを願うばかりです。

が、もう一つの視点として、先のスギウラさんのコメントにもあった人的な不足によるものも、また大きいのではないでしょうか?こればかりは いくら有能で、思いある教育者であっても、如何ともし難く。ではないでしょうか?

こういったところは、しっかりとした議論・協議をもって改善されていくことを、やはり願いますよね。子どものためにも、担当する教育者のためにも。


と。「子供に手を上げるような人もいる」の件ですが、これは聞き捨てなりません。それは「介助員が」でしょうか?となれば大きな問題です。ぜひ、「どの学校」の「どの子ども」を担当している者か、お伝え下さい。しっかりと対応します。

しかし。もしこの情報が「伝聞情報」であり、出所が不明確であったり「たしかぁ...」とか「誰々さんが誰々さんに聞いたみたいで...」というようなモノであったとしたら、これは日々「教育の場」で奮闘して見える介助員さんの名誉を著しく損ねる、悪質な「デマ」として捉えざるを得ないと、あらいは思います。

ので、ぜひともこの情報の詳細をお伝え下さい。
shogaisha-sodan@chorus.ocn.ne.jp

まで。よろしくお願いいたします。スギウラさんの仰る通り「今以上に良い環境づくりのために」。あらいも全く同感でありますので、ぜひ。m(_ _)m

投稿: あらい | 2012年12月20日 (木) 12時04分

了解いたしました。
メールしましたのでご査収ください。

投稿: スギウラ | 2012年12月20日 (木) 13時51分

スギウラさま

ご連絡ありがとうございました。
確かに、承りました。しっかりと対応させて頂きます。

スギウラさんの仰る「今よりも良い環境になる」ためにも。

投稿: あらい | 2012年12月20日 (木) 14時33分

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