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2014年12月15日 (月)

「緑のまち」10年の軌跡 (後編)


ってことで、続きでございます。<(_ _)>


ってことで、この対談タイトル『出逢いからの創出 〜未来への伝言〜』には深く、大きく、そして重い意味があるんです。あらいが紹介すべきことではないのてすが、勝手に、あらいが知る「意味」をお伝えさせて頂きます。「緑のまち」の皆さん、ごめんなさい。<(_ _)>



「新城市に社会福祉法人を!」の思いから市内の有志が集い「設立準備委員会」を設立したのが12年前。その最初、新城市に魂を吹き込んだのが誰あろう「山田優さん」その人。以降、新城市の皆さんは、この優さんの思いを忠実に守り、ヘロヘロになりながらも前を向き、一つ一つ丁寧に遂行し、今に至っています。

あまり多くを語らない、決して愚痴を言わない長坂さんはじめ「緑のまち」の戦士ですから、あまり知られては(気付かれて?)はいないですが、その労苦たるや、想像を絶する10年間であったことは間違いのない事実。10年前に通所授産施設の立ち上げに始まったレインボーはうす、今では9つの事業を展開。入所施設のない新城市にあってグループホームを次々に設立準備、今では60名近い方の暮らしを支えてみえるんです。この10年間にです。たった10年という時間にです。本物の戦士だと思います。

この戦士が「軌跡」を確認し、これから何を成すべきか?という「未来」を示してもらうには、やはり「山田優さんしかいない!」ってことなのでしょう。そして、優さんが「愛弟子」である長坂さんの この思いに応え、昨日の対談に挑んだ。そんな感じなのかと。


10年の軌跡


対談の内容は控えます。というか、どんなに文才のある方であっても、昨日の二人の やり取りを、あの師弟の掛相漫才のような やり取りを、あの軽妙なやり取りにも関わらず ただただ深いやり取りを、的確に表現出来ることはないかと。少なからず、今の あらいには全然無理です。ただただ力不足を痛感するばかり。<(_ _)>

ただ一つ。お二人の話は「本人主体」でありました。そして優さんが布教する「地域生活のススメ」をブレることなく、愚直なまでに遂行する「漢」師弟の友情の確認であるように感じました。嫉妬するくらいに、ステキな やり取りでした。メチャクチャ勉強しました。と、メチャクチャ格好よかったです。(  ̄^ ̄)ゞ




ってことで。第1部は ここで終了。第2部は場所を移して『10周年記念パーティー』。法人を支えてきた、みえる皆さんを法人スタッフ皆さんがオモテナシして下さるっていう、なんとも粋で、ステキな企画!薬玉割から始まり、スタッフ皆さんの「いろんな意味で」心のこもった温か~いオモテナシ。(○゚ε゚○)


10年の軌跡


でもね。一歩間違うと「手前味噌」とも捉えられかねない「身内のり」も、オモテナシの心で、心を込めていると、それはそれで感動を与えるものなんだっていう、当たり前かもしれないけれそ、その実、メチャクチャ難しいことを、このレインボーはうすの皆さんは、事も無げに。会場は終始一貫、感動と爆笑で渦巻いていました。なんともステキなスタッフ皆さんでした。学ばせて頂きました。<(_ _)>



で。あらいの席はナント!優さんの隣でして〜!パーティーの間中、「優さん!優さん!あのですねぇ!」ってな感じで田原市の実践や今の取組みについてお話しし、質問し、アドバイスを頂きました!ありがたいかな優さんも前のりで聴いて下さり、ときにお褒めの言葉も頂き、なんとも ありがたく!贅沢な時間になりました。

勿論!いつも通り「大きな課題」も頂きましたよ~!でも、それすら!やはり贅沢な話ですよね!あらいに この席を ご用意下さったのは、「しっかり勉強しなさい!」という「緑のまち」皆さんのお心遣いからかと思います。本当に ありがとうございました!無駄にすることなく、メチャクチャ勉強しました!( ☆∀☆)



この贅沢な学びの時間は まだまだ続き、スタッフ皆さんの「お疲れ会 」にもお声掛け頂き、小林さんや渡辺さんという、レインボーはうす初期メンバー(幹部)との語らいの時間が終電まで続きました。メッチャ楽しかったです~!ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

遠いまちのスタッフ皆さんなのに、皆さん、気心知れた皆さんばかりで、あらいが この「緑のまち」と関わってきた時間も、そんなに短いものではなかった、浅くはなかったのかなぁ。と、これまた勝手に染々した次第です。松原さん、北川さん、ミチさん、大原さん、そして皆さん、本当に感謝です。

ってことで。長坂さんはじめ新城福祉会 「緑のまち」戦士皆さん。本当に おめでとうございます。快進撃を続けた この10年を踏襲しつつも、更に「未来」を見つめるその様に感激しましたし、敬服しました。あらいも、「青のまち」田原市の同志と共に皆さんに恥ずかしくない活動を、闘いをしていきます!ので、これからも、末永く、よろしくお願いします。m(__)m


 arai

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コメント

新井さん!
この度は10周年記念フォーラムならびにパーティー、懇親会までご参加いただきありがとうございました☆
そして手に取るように伝わるプログも、毎度ながら頭が下がります。感謝感謝です。
振り返れば、法人設立のための勉強会での出会いから早12年ほど。いろんな時期を都度ご一緒してきたなと感じてます☆

今後ともヨロシクお願いします^ ^

投稿: わたなべ | 2014年12月16日 (火) 12時55分

わたなべさま

こちらこそ。深夜に至るまでお世話になりました。というか、本当に皆さん、心のこもったらオモテナシだったと思います。感謝でございます。m(__)m

と。そうですね。12年が経ちますね。出会いから「グイグイ」と迫って来る わたなべさんのこと、今でも鮮明に覚えていますよ!そうそう居るタイプじゃないっすもんね!(^○^)

あれから。本当に いろいろとご一緒しましたね。でも、それもこれも、まだまだプロセス。これからは、もっともっと飛ばしてイクゼ!ヨロシク!( ̄▽ ̄)ゞ

投稿: あらい | 2014年12月16日 (火) 22時34分

新井さんへ

で、続きです。

長坂という厄介な人間を深い所で理解してくれている人だとあらためて感じ入るブログ、本当にありがとうございます。嬉しかったです。

ところで、あの時の対談で語り切れなかったことに想いを馳せる資料を昨日、レインボーのブログにアップしておきました。気が向いたら、さらっと読んでみてください。
もちろん、優さんには了解済みです。

実はこの対談、当法人の10年選手で現在30歳になる支援員さんが「出逢いからの創出~未来(アス)への伝言(メッセージ)~」と名付けてくれました。

新井さんなら、今更ということばかりですが、支援員さんの思いを受け止めて、優さんも私も、やはりトコトン、個と個(あなたと私、当事者と支援者)の関係性にこだわり、さらに優さんはこの10年間を評価するのは「ご本人(当事者)さんだ!」と何度も伝言(メッセージ)をしてくれました。

そして優さんは「老障介護」をキーワードに、誰もが「老いる、病む、逝く」というまさに「降りて行く生き方」は同じであり、だから安心して命を全うできる街をつくることは、私の、そして私の愛する人の問題であると。当たり前過ぎることが当たり前にならなくなっている社会に対しての憤りもあるのだと思います。

また、優さんの「俺は家で死にたい!」。あの時、優さんはその人がどこで死にたいのか、いわゆる「死」に対する意思決定支援にまで言及しました。意思決定支援の前提には、絶対的な安心感に基づく関係性からこぼれる自己主張がある。だから、優さんの資料には「山田の自己主張」と書かれていたのでしょう。

高齢化率において日本の一足先を行く、東三河北部圏域。優さんはさかんに先進地と表現されていました。私も全く同感で、新城以北には介護、障害、保健医療といった縦割りは対象者の特性に応じた支援スキルとしてのみ必要であり、地域で暮らすという視点においては不要かと。どんな小さな地域にも全体があるのです。優さんはそのことを精一杯伝言(メッセージ)され、私たちを応援してくれました。また、それを課題として置いて行ってくれました。

10年は終わりました。そして次の10年が始まりました。
バトンタッチの助走に入ったことだけは確かです。

もっともっと走れる人は走りましょう。
もっともっと飛ばしてイク人は飛ばしましょう。
そんな感じでしょうか。
人はみんな異なる速さとリズムを持っています。

バトンタッチ、バトンパスには速さとリズムのタイミングが大切です。
誰が誰からバトンをいつ、どのようにして受け取るのか、見えそうで見えないバトンのカラーとカタチ、そんなことを考えながら、主催者側ではありましたが、感動と爆笑の2部パーティーを共有させて頂きました。

相変わらず、お元気でご活躍の新井さん。このブログは「学びの場」と言われていたと思います。本当にそうだと思います。この書き込みをすることで、私自身、フォーラムの振り返りと整理ができました。

レインボーのブログではなく、ギターを抱えた写真の残る新井さんのブログに多くを書き込む理由を察していただけたら、幸いです。

繰り返しになりますが、集団ではなく、個と個の関係性、そこにおける絶対的安心感の上にのみ人は自己主張ができるものだと…。

ありがとうございました。

投稿: 長坂 | 2014年12月23日 (火) 07時48分

長坂さま

返信が遅くなり、申し訳ありません。なにせ仕事がのろく…。(T-T)

で、まず。優さんの「俺は家で死にたい。」のついて。あらい自身「ぐっ」ときました。もっと言うと、この後に長坂さんが被せた「どこで死にたいか、は、どこで生きたいか。ってことですもんね。」にです。そこで「逝く」ことを決めるというのは、理屈ではなく「そこに拘る」理由があるんですよね。だからこそ「家で」を選択するにも、思いがあるわけで。

あらいも長坂さんと同様の思いを持ちます。あらいの愛するまちの人が、自分の「生きる場所」を、自ら選択でき、その拘った人・空間に看取られて逝くことのできる、そんな意思決定支援が日常にある、そんなまちになるための「一助」になりたいと思っています。

と、もう一つ。高齢化率の問題。東三河北部圏域ほどではないにせよ、田原市も地域ごとにみれば相当な高齢化率となっている地区がありません。あの場所で優さんにはお伝えしましたが、田原市にはお寺さんがたくさんあります。数年前までは100近い数があったのですが、ここ数年で減少しているそうです。ようは寺社仏閣を中心になりたっていた古い「村(地区)」という単位が成り立たなくなっているのかも知れません。

とすると、優さんが繰り返していた「先進地」という発言、そして「これからの日本は、ここに学ぶ。」はとてもリアリティあるものに聴こえました。これから「緑のまち」が取り組む「地域で暮らす」ことをテーマにした新たな枠組みの構築は、「青のまち」が今、まさに学ぶべきことと痛感しております。

制度がどう変わろうと。障害の有無に関わらず、市民・住民が支えあう「共生社会」の実現こそが、新たな枠組みだと田原市は信じています。「障害者支援」ではなく「住民支援」なんですよね。


「緑のまち」がバトンパスのスペースに入っていることを実感し、正直、焦る気持ちがあります。長坂さん ご存じのとおり、田原市障害者総合相談センターは設置当初から「人財育成」をテーマに、あれこれと仕掛けてきましたし、その結果が今の仕組みやプログラムになっています。

が。残念ながらバトンタッチには まだまだ時間が掛かることかと。ひとえに、あらいの力量不足を痛感し、恥じると共に、長坂さんはじめ「緑のまち」の戦士皆さんに笑われることの無いよう、この後も しっかりとネジを巻き、行政と共に、しっかりと人財育成をし、しっかりとバトンタッチをしたいと思います。

どうか。どうか、その日が来るまで、呆れながらも見捨てることなく田原市と、あらいとお付き合い下さいますよう、お願いします。で、いつか。その日がきたら。二人してギターを抱え、のんびり唄い、弾き、飲み、語りしたいです。重ねて よろしくお願いします。<(_ _)>

投稿: あらい | 2014年12月24日 (水) 15時16分

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